第1条
私たちは、神が作った結婚は、性的で、出産を伴い、生涯にわたる契約関係であり、一人の男と一人の女が夫と妻として一つになるものであること、またキリストとその花嫁である教会の間で結ばれた契約に基づく愛を象徴していることに同意する。
私たちは、神が結婚を同性愛、一夫多妻、多夫多妻の関係となるように計画されたという考えを否定する。また、結婚が神の前で結ばれる契約ではなく、単なる人間の契約であるという考えも否定する。
解説
最近一部のLGBTQの人々は、いわゆる「同性婚」の合法化を求めています。既に「同性婚」が合法化されている国々では、結婚の定義を広げ、三人以上の「結婚」、子供と大人が結ばれる「結婚」、動物を含む「結婚」などの合法化も検討され始めています。結婚が、人間が作り出した制度であるなら、その定義を変更することもあり得るでしょうが、聖書を神のことばと信じるクリスチャンにとっては、そのような考え方は受け入れられません。それは、神が忌み嫌われることだからです。
「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである」 (創世記2:24)とあります。聖書の最初の章(創世記1章)で、神によって創造された二つの性の起源と本質が説明され、第2章で、神によって創造された結婚の起源と本質が説明されています。これは、非常に重要なことです。
聖書には、結婚に関する教えが多くありますが、それらの教えはすべて、創世記1章と2章で啓示された真理の補足説明となっています。
例えば、預言者マラキは、結婚は生涯続く契約であると断言しています。
「…それは【主】が、あなたとあなたの若いときの妻との証人であり、あなたがその妻を裏切ったからだ。彼女はあなたの伴侶であり、あなたの契約の妻であるのに。神は人を一体に造られたのではないか。そこには、霊の残りがある。その一体の人は何を求めるのか。神の子孫ではないか。あなたがたは、自分の霊に注意せよ。あなたの若いときの妻を裏切ってはならない。『妻を憎んで離婚するなら、──イスラエルの神、【主】は言われる──暴虐がその者の衣をおおう。…」 (マラキ書2:14~16)
イエスは、マタイ19:3~9で、パリサイ人たちに同じ内容のことを教えておられます。
ソロモン王は息子たちに、性的な親密さは男女の結婚生活の中だけで楽しむものであると教えています。
「あなたの水ためから、水を飲め。豊かな水をあなたの井戸から。あなたの泉を外に散らし、通りを水路にしてよいものか。それを自分だけのものにせよ。あなたのところにいる他国人のものにするな。あなたの泉を祝福されたものとし、あなたの若い時の妻と喜び楽しめ。…わが子よ。あなたはどうして他国の女に夢中になり、見知らぬ女の胸を抱くのか」(箴言5:15~20)。
パウロは、コリント人への手紙第一6:18~7:5で、同じ命令を繰り返しています。
結婚がキリストと教会の関係の象徴であることを教えたのも、パウロです。
「妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。…夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。…」(エペ5:22~33)
一方、聖書のどこにも、一人の男性と一人の女性以外の結婚の形態を認めるような記述は見つかりません。同性愛は、旧約聖書でも新約聖書でも明確に禁止されており、女性が複数の男性と関係を持つことも(配偶者の死とそれに続く再婚以外は)、禁止されています。一夫多妻制は旧約聖書では直接的禁止されていませんが、新約聖書では、「一人の妻の夫」であることが教会時代の倫理規範であることを、パウロが示唆しています。
以上の理由によって、聖書を信じるクリスチャンは、いわゆる「同性婚」、一夫多妻制度の結婚、また第1条に定義されている結婚の形態以外のあらゆる「結婚らしき関係」を肯定したり、祝福したり、黙認したりすることはできません。
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