第2条
私たちは、神が明らかにされたすべての⼈に対する御心は、婚外では純潔を守り、婚内では貞操を守ることであるということに同意する。
私たちは、愛情や、願望、約束があることで、婚前または婚外の性交が正当化され、さまざまな形の性的不道徳が正当化されるという考えを否定する。
解説
世界の主流となっている性教育は、「包括的性教育」と呼ばれるもので、大まかに言って二つの原理から成っています。一つ目は、安全な性行為ができるように教育すること、二つ目は、性的決定権を意識させるような教育をすることです。つまり、妊娠、性感染症、そして暴力的な性行為のリスクなどを避けさえしていれば、人々はいつ、誰と、どのようなセックスをするかを決める権利がある、という教育です。
クリスチャンの間でも、このテーマに関して混乱している人々は少なくありません。その理由は、性行為に関する聖書の倫理や基準を学んだことがないからです。また、学校で包括的性教育を教えられてきたため、多数の人との性的関係を避けさえすれば、自分たちは聖書の「精神」に従っている、それで十分だ、と思い込んでいるからです。
しかし、使徒パウロは次のように書いています。
「あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。だまされてはいけません。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません」(1コリ6:9~10)。
「不品行を避けなさい。人が犯す罪はすべて、からだの外のものです。しかし、不品行を行う者は、自分のからだに対して罪を犯すのです。あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい」(1コリ6:18~20)。
ある人たちは、このような禁止事項はパウロ独特の命令であって、現代の私たちには関係がないと主張します。しかし、パウロが挙げている禁止事項は、その全てが旧約聖書にこと細かに記されているものです(レビ18章の全章参照)。
キリストも、山上の垂訓やその他の箇所で、性的罪に関してはっきりと教えておられます(マタ5:27~32、19:3〜9参照)。
性行為についての聖書の教えは明確です。あらゆる意図的な性的刺激、性的絆、性的快楽をもたらす行為は、結婚という枠組みの中においてのみ行うべきものです。また、互いに愛情があったとしても、将来結婚する約束をしていたとしても、あるいはなんらかの事情で結婚が不可能な状態にあったとしても、結婚関係が存在していなければ、性的関係を持つことは許されません。神は、それを禁じておられます。
自分たちには性的決定権があると教えられてきた世代にとっては、このような聖書の教えは堅苦しくて、偏狭で、非現実的なものに感じられるかもしれません。しかし、私たちを創造してくださった神様が、私たちの最善と祝福を願って、愛の表現としてこのような戒めを与えておられることを覚える必要があります。
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