第5条
私たちは、男女の生殖構造の違いは、人が男または女として自己認識を持つという神の計画に不可欠な ものであることに同意する。
私たちは、身体的な異常や心理的な状態により、生物学的な性別と男または女としての自己認識との間に神が設けたつながりが無効になるという考えを否定する。
解説
私たちの性には大きく見て4つの要因があります。① 身体的性(持って生まれた体の性別)、② ジェンダー意識(自分の性別をどう感じるか、意識するか)、③ 性的指向(どういう相手に魅力や性欲を感じるか)、④ 性行為(自分の身体的性、ジェンダー意識、性的指向に基づいてどのような性行為を求めるか)。
通常ですと、身体的性が土台となり、それに基づいてジェンダー意識や性的指向が確立されていきます。しかし、ジェンダー意識は家庭での育成状況にも影響されるもので、1歳半から4歳ぐらいの間に男の子は自分の男らしさを、女の子は自分の女らしさを自覚するようになります。しかし、幼児期に子どもが虐待を受けたり、親(特に同性の親)との健全な愛着や絆が成立しなかったり、親の間に極端な力関係のアンバランスがあったり、子どもが性的刺激にさらされたりするとジェンダー意識の確立が妨げられ、そのことで子どもが混乱することが稀にあります。早めに適切なカウンセリングを受けることができれば、多くの場合にはこの混乱は解決し、身体的性と調和したジェンダー意識が育ちますが、場合によっては混乱が大人になるまで続くことがあります。そのような状態を「性別違和症候群」あるいは「トランスジェンダー」とも呼びます。またとても珍しいですが、遺伝的な問題やホルモンの問題などで曖昧な性器を持って生まれる人もいます。この状態を一般的に「インターセックス」(IS)と呼びます。ほとんどの場合には、この問題は適切な治療で解決することができますが、これに関してもやはり例外があります。
ジェンダーイデオロギーの一つの主張は、身体的性とジェンダー意識とは必然的な関係がないと言うことです。つまり、女性の体を持って生まれた人が「自分はどちらかと言うと気持ちは男だ」と主張すれば、その気持ちや意識が身体的性別に優先し、社会からは男として扱ってもらえる権利があるという考えです。しかし、聖書には神が私たちの身体をお造りになったこと、私たちすべてを男か女に造られたことが主張されています。このように書いてあります。「あなたこそ 私の内臓を造り 母の胎の内で私を組み立てられた方です。私は感謝します。あなたは私に奇しいことをなさって 恐ろしいほどです。私のたましいは それをよく知っています」(詩篇139:13、14)。そして詩篇139:16には、「あなたの目は胎児の私を見られ あなたの書物にすべてが記されました。 私のために作られた日々が しかも その一日もないうちに。」と書かれているように、受精した瞬間にいのちが与えられ、性別が決められるのです。上記の第5条が主張しているのは、神様の素晴らしいご計画の内に身体的性とジェンダー意識の間に密接なつながりがあるよう私たちは造られたということです。
聖書にはこのようにも書いてあります、「被造物が虚無に服したのは、自分の意志からではなく、服従させた方によるものなので、彼らには望みがあるのです。被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由にあずかります」(ローマ8:20、21)。つまり、今では性やジェンダーだけでなく、人間の堕落の影響により、多くのことが神様の創造の秩序と目的と異なった、歪んだ状態に陥っているということです。しかし、だからといって神様の創造のご計画が無効になるわけではありません。むしろ、Ⅱコリント5:17にこう書いてあります。「ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」。確かに罪の結果として私たちの内に歪んだものがありますが、キリストにあるものは「新しく造られた者」としての現実と希望の中に生きることが可能ですし、そうすることが神様に栄光を与えるのです。
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