ナッシュビル宣言の解説

第6条

私たちは、身体に性分化疾患を伴って生まれた者が、神のかたちに造られていること、また神のかたちに造られた他のすべての人と等しい尊厳と価値を持っていることに同意する。私たちの主イエスは、「母の胎から独身者として生まれた人たち」ということばに表れているように、そのような人々がいることを認識しておられる。他のすべての人とともに、そうした人々はイエス・キリストの忠実な信者として歓迎され、知っている範囲において生物学的な性を受け入れるべきである。

私たちは、生物学的な性別が曖昧であるために、キリストに喜んで従い、実りある人生を送ることができなくなるという考えを否定する。

解説

この世には、曖昧な身体的性別を持って生まれた人々はいるでしょうか。旧約聖書にも新約聖書にもキリストの言葉にも、神が「人を男と女とに造られた」とあります。人を男か女かに造られた全知全能の神にとって、「曖昧な身体的性別」はないでしょう。しかし、私たち人間にとって、しかも最も専門的知識を持った医者たちでさえも、身体的性別を断定できないほど複雑な場合があります。けれども、そのような状況は、その人々の神の前での尊厳や価値や信仰の歩みやキリストにあっての実りある人生を減少させたり、無にしたりすることはないというのが、ナッシュビル宣言の第6条の主張なのです。

このことは、キリストご自身が明確にしています。マタイの福音書19章12節で、キリストは次のように語っています。「母の胎から独身者として生まれた人たちがいます。また、人から独身者にさせられた人たちもいます。また、天の御国のために、自分から独身者になった人たちもいます。それを受け入れることができる人は、受け入れなさい。」日本語の聖書が「独身者」と訳しているギリシャ語の “Eunouchos” は、実は文脈によって多数の意味を持った言葉でした。キリストは、そのうちの3つについて、この箇所で触れられたのです:
1)曖昧な性器を持って生まれた人々のこと。
2)何かの理由で性器を切り取られた男性のこと(例えば、古代の王の妻たちや側女たちの番をする立場の者は、彼女らと性的関係を持たないよう、そのようにされる場合があった)。
3)自ら結婚せずに独身を選ぶ者のこと。
結婚することを当たり前のこととして受け止めていた当時のユダヤ人社会において、キリストは独身でいる正当な理由がいくつもあることを主張したのですが、その延長としてそのような人々の尊厳をも主張しているのです。いずれにせよ、この第6条はキリストが彼らを尊厳と価値を持った者たちとして受け入れているので、私たちもそうすべきこと、そして、本人たちは自分たちが理解できる範囲で身体的性別を自覚し、喜んでキリストに従うよう呼びかけています。