第8条
私たちは、同性に性的魅力を感じる人々が、すべてのクリスチャンと同様に、純潔を守って日々を歩む中で、イエス・キリストにある信仰によって、神に喜ばれる豊かで実りある人生を送ることができることに同意する。
私たちは、同性に性的魅力を感じることが、神の創造当初からあった自然の一部で良いものであるという考えや、そういう人は福音の希望の外に置かれているという考えを否定する。
解説
第8条は性別、結婚、そして性に関する聖書の最も基本的な教えを反映しています。
まず、神は人間をご自分のかたちに男と女とに創造されました。聖書のどこを探しても男と女以外の性別あるいはジェンダーの存在は見当たりません。(創世記1:26−27、マタイ19:4−6)
次に、神は結婚を一人の男性と一人の女性との間の結合として定められました。その他の結婚の形態は聖書のどこにも見当たりません。(創世記2:24、マタイ19:4−6、エペソ5:22−33)
そして、神はどのような性的な関係であれ、それを結婚の枠組みの範囲内でのみ体験されるべきものとして定められました。このことに関しても聖書の中には例外は見当たりません。(出エジブト記20:14、箴言5:15−17、1コリント6:18−20、ヘブル書13:4)
理由は何であれ、上記の原則と異なる性別、結婚、そして性に関する理解、指向、あるいは行為は神のご計画と異なります。しかし、私たち人間は堕落の影響によって霊的にも、精神的にも、性的にも、歪んだ者であり、間違った理解や欲や指向を持ってしまう現実があります。
そしてそのような理解、欲、指向のため、罪を犯す誘惑を感じます。姦淫の誘惑、婚前の性的関係の誘惑、ポルノを見る誘惑、幼児や未成年との性行為を犯す誘惑、あるいは同性の人々への性的誘惑などです。このような誘惑は、神が創造の時から人類のために用意されたご計画と御心とは異なるものであることを第8条は主張しています。
しかし、どのような誘惑を体験する者であれ、福音によって救われますし、純潔を守って歩むことによって神に喜ばれる実り豊かな人生を送ることができます。これが福音によって与えられる希望なのです。
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