Q&A

ゲイ神学側からの主張: 「旧約聖書の中には今日クリスチャンが守らないルールがたくさんあります。例えば、豚肉や海老を食べてはならないとか、同じ畑に二種類の種を蒔いてはならないとか、二種類の糸で織った布地の衣服を身に着けてはならない、などがあります。しかし、新約聖書において、クリスチャンは律法の束縛から解放され、それらは守らなくても良いとされています。それなら、愛と忠実を表す同性愛関係を禁じていると、どうして断言できるでしょうか。」 この主張をどう考えたら良いでしょうか。

ゲイ神学について 

この主張に答えるに当たって、旧約聖書の律法の内容を理解していただく必要があります。大きく言って律法には三つの目的があり、律法の内容はその目的に沿って分ける必要があります。

(1)イエス・キリストの贖いの死を予見すること:いけにえ制度や祭司制度はこの目的のために存在しました。

(2)イスラエルの民が神の選民であり、神の真理と栄光を表すために遣わされていること:律法の内の食事、住まい、衣服、農業、社会生活(犯罪に対する処罰も含め)に関係する内容はこの目的の一貫として存在しました。

(3)神の義と聖さ、神の絶対的、かつ、普遍的善悪の基準を明確にすること:十戒を含め、律法の道徳的、倫理的内容はこの目的のために存在しました。

新約聖書の時代に移った時、キリストの十字架での贖いのわざが完成し、律法の上記の(1)の部分が成就し、不要になりました。さらに、異邦人を中心とした教会の時代が始まったので、選民としてのイスラエル民族特有の規定(2)も不要になりました。しかし、神の義と聖さを表す善悪の基準(3)は変わらず、それはイエス・キリストも使徒たちも再確認していますので、律法の道徳や倫理は現在に至って変わっていないと認識しなければなりません。
従って、旧約聖書と新約聖書両方に変わらない律法が多くあります。例えば、「姦淫をしてはならない」という戒めは旧約聖書の出エジプト記20:14にありますが、イエスもマタイ5:27で同じ戒めを強調されました。また、「あなたは女と寝るように、男と寝てはならない。」という戒めは旧約聖書のレビ記18:22にありますが、パウロはローマ1:26~27やⅠコリント6:9~10で、その戒めを守ることの重要性について語りました。この他にも不品行、人殺し、嘘等、多くの道徳的律法は新約聖書の福音と恵みの時代になっても変わっていません。ですから、旧約聖書の律法をもう守らなくても良いからと言って、新約聖書で明らかに禁じていることを許して肯定するのは、自分の都合に合わせていることになり、正しい聖書解釈ではありません。同性愛を禁じる律法は旧約聖書の時代も今も変わりなく守る必要があるのです。


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