ゲイ神学側からの主張: 「もしも、同性愛者が結婚できないとするなら、一生独身生活に閉じ込められて孤独な生活を押し付けることではないでしょうか。しかし、神様は「人が、ひとりでいるのは良くない。」(創世記2:18)と言われました。だとするなら神様は同性の人だからと言って結婚を禁じるほど残酷ではないと思う。」 この主張をどう捉えたら良いのでしょうか。
ゲイ神学について
「人が、ひとりでいるのは良くない」と言う神様のアダムに対する言葉ですが、神様は人を造られた時に、御自身のかたちに「男と女」とに創造されたので、もう一人の「男」ではなく、「女」がいないことは良くない、という意味でした。神様はアダムのためにもう一人の男性を造られたのではなく、女性です。神様の意図された結婚における男女の性関係は、一心同体となる絆をつくり、究極的には花婿(夫であるキリスト)と、花嫁(妻である教会)を表すものでした。男性同士や女性同士の性的関係はこのひな形から明らかに外れていますので禁じられています。
一方、男性同士や女性同士が深い友情関係を持てないわけではありません。独身の人も男性や女性と自由に交わりを持つことができますし、孤独だとは言えません。結婚しなくても親しい友人を作ることによって互いに助け合い、深い交わりと絆を持つことができます。もしも、性的満足に絞って性的に満たされないことは「孤独」と主張するなら、それは極端にセックスに捕われている考え方です。パウロもイエス様も独身でした。今日も意図的に結婚しない人、あるいは様々な理由で結婚できない人も多くいます。中には結婚ができればしたいと願っている人もたくさんいますが、できないままでも心の満たされる豊かな生活を送っている人も大勢います。聖書の中では、結婚しないことは「良くない」とは教えていません。逆に、結婚しないで独身であることは、神様のために全てを捧げて仕えることができるので、良いものとして表されています。(Ⅰコリント7:8、32~35)
また、多くの同性愛者たちは信仰を持ってから、霊的な成長やカウンセリングによって同性愛的指向が減少し、異性に対しより魅力を感じるようになることも多くあります。ですから、「一生独身生活に閉じ込められて孤独な生活を押し付けられる」とは限りません。